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"マネーの虎がなんで海外版と違って嫌われたか
海外では「確実に稼げる」事よりも「市場として成り立つ」事をメインとしてた
だから人気が出たし、実際市場として確立したのもある
だが、日本版では「とりあえずその商業で稼げて金を返せる」事を重視
しかも「貸してやる」とか考えてるからどいつもこいつも出し渋る
だから面白くねーんだよ
投資と貸与の違いが分かってない"
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"
残念ながら、日本人は奴隷としては最高級に優秀だ。
どんなに嫌な職場でも限界が来るまで辞めないで頑張る。
なぜなら、転職しても給料は落ちる方が多いし、
年齢や能力によって転職が簡単ではなくなるから。
さらに仕事辞めたらセーフティネットがほぼないため、
死ぬしかない。つまり、転落はかなり容易で、這い上がるのは
かなりの難易度。この恐怖から逃れるために、
多くの優秀な日本人は今日も耐え続ける。
"
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"もしあなたの周囲に傑出した人がいないなら、あなたがならなければならない。
自信を失うということは、自分に対して盗みを働くようなモノである。
自分より賢いものに負ける方が、自分より愚かなものに勝つよりも得だ。
対立を恐れるな。進歩は対立から生まれる。自分の見解に賛成しない者も大切にしなければならない。
一本の蝋燭(ろうそく)で多くの蝋燭の火をつけても、初めの蝋燭の光は弱まらない。
出会ったすべての人から学べる者が、この世の中で一番賢い。"
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"
欧米は日本と逆に買った時が一番安く、徐々に価値が上がって将来の資産になる。しかも、たいがい値上がり率は銀行預金や株式よりも高くなる。
日本で住宅の価格が下がる理由は二つある。一つは「街並み」の問題だ。アメリカの場合、住宅街は時と共に磨かれ、充実していく。最初は殺風景な新興
住宅街でも、だんだん樹木が大きくなって街並みが整備されていくと街そのものに落ち着きが出てきて、10~20年後には高級住宅街になる。つまり、街並み
にはワインと同じようにビンテージがあり、時間が経てば経つほど熟成されていくのである。
一方、まだ日本人は街並みが住宅の商品価値を上げる最大の要因だということに気づいていない。だから、住民に街並みを磨き、壊さないようにするという配慮がない。新興住宅街は出来上がった時が最もきれいで、時と共に寂れていく。
代表的な例は東京の田園調布だ。かつて田園調布は日本の高級住宅街の代名詞だった。ところが今や、その面影は全くない。1980年代のバブル期に相
続税対策で多くの家が土地を切り売りしたり、借金をして庭先に子供の家や賃貸住宅を建てたりしたため、広々としていた区画が細切れになって家が建て込み、
街並みが貧相になってしまった。日本は相続税の問題が足枷となり、高級住宅街を世代を超えて維持することがきわめて困難なのである。
※週刊ポスト2011年6月17日号
"
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"この前TV番組で女性タレントが高校生の自宅を取材していて、TVを持ってない学生に「まさか私のこと知らないのー」と驚愕して、次のシーンで「この魚なにー?」と質問して学生に「アジです」と返答されてるのを見まして、「常識」や「知識」の順位付けはひとの数だけあるのだと思いました。"
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"さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ。"
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"ずっと昔に「金ないって言うのは、お前それ、欲しいからくださいって言ってるのと同じやからな」っていう言葉を見たの思い出した。もう貧乏ネタやめよう
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これって何にでも適用できそう「寂しいって言うのは、お前それ、優しい言葉かけてくださいって言ってるのと同じやからな」
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「出来ひんって言うのは、お前それ、出来るまで待ってくださいって言ってるのと同じやからな」
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「好きって言うのは、お前それ、あなたにも同じだけ好いてくださいって言ってるのと同じやからな」"
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"
海外ではフェアな労働環境が守られている外資系企業も日本に進出すると、どこのブラックだよw?ってレベルのクソ会社に豹変したりするケースがあるからな。日本の外資系企業で働いてる俺の連れにも、当たり前のようにサビ残、休日出勤してたり、忙し過ぎてここ3年間一度も私用で有給を使ってないなんて人までいるし。で、(海外の)本社や他の支社はどうかと言えば、思いっきりフェアな労働環境なんだよな、これが。マジで悪い意味で空気を読んでるのか知らんけど、日本支社だけしっかり日本流w。
逆に俺がいつもクソクソ言ってる日系の会社だって、日本じゃ社員を奴隷同然にコキ使ってても、海外支社ではきちんと現地の法律を守って、フェアな労働環境を提供してるんだよ。俺の前職のクソ日系シンガポール支社もそうだったけど、有給もsick leave(病欠給=「第2のw」有給)もしっかりあるし、現地社員は皆当たり前のように消化してるしね。まあ、日本と同じ感覚でサビ残強制したり、有給を使わせないと痛い目に遭うってのはしっかり認識してるんだよな、コイツらw。
"
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"まず大きな問題は、他者とのコミュニケーションにおいて、
議論の「内容」を通り越して、
あまりにも「心理的」な反応をすることで
コミュニケーション自体を不成立に至らせてしまう傾向だ。
あまりに使い古された表現で言うのも憚られるが、
「意見の批判は人格の否定ではありません!」というお題目が指し示す通り、
主張や議論の「内容」自体とその主張をする人間の人格の好悪とは何の関係も無い。
論理展開の誤りや事実誤認、論点の見落としなどを指摘する行為に、
「ポジティブ」も「ネガティブ」もない。
逆に言えば、いくら議論でコテンパンに「敗北」したとしても、
それはあなたの存在そのものが否定されたことではなく、
あなたが「人格を否定された!」と感じ「傷つく」理由はどこにもない。
そして、そうした事実の正誤判定や論の妥当さの検討は、
発信者のバックグランドや人格、動機や事情を全く知らない
「赤の他人」であっても同じ土俵の上で行うことが可能であり、
一度自分の口から何かを発信した以上、その主張は
いつ何時、あらゆる人からの批判や検討の目を浴びる
可能性があるのは当然なことであって、
それが<自由>な議論ということだ。
自分が<自由>に発信をしたいというのなら、
同じように他者から<自由>な反論が来ることを
覚悟しなければならない。
ところが昨今多く目につくのは、
その人の人格とは関係ない(従って傷ついたり怒る必要もない)
議論の「内容」自体に対する批判の意見を受けたということだけで、
「自分にネガティブな感情を抱いている」
とか
「自分は嫌われ者だ」
という風な感情的な反応をしてしまう人がいること。
また、そういった反応をしてしまう当事者以上に問題なのは、
その人の「取り巻き」が勝手に当事者のための「正義の代理人」となり、
「アンチは相手にしちゃ駄目ですよ」
といったそそのかしをすること。
主張の「内容」自体に関する批判や反論は
活発に行われてしかるべきだし、その議論が
元の主張をより妥当性の高いものへと発展させる
役割を担うこともあるわけで、それは決して
批判を受けた本人にとっても「ネガティブ」で
忌避すべき出来事ではないはずだ。
それなのに、自分が発した主張の内容に責任を
負わず、他者の意見に耳を傾けることすら放棄し、
○:「ポジティブ」 ×:「ネガティブ」といった「心理的」な反応を
してしまうことは、非常にもったいないことだと思う。
*
更にタチが悪い場合は、
議論をシャットアウトするだけに飽き足らず、
コミュニケーションが成立しない理由を、
議論そのものではなく、
年代や所属といったその人のバックグラウンドであったり、
批判を加えた人を「無礼」だとか「悪人」だとか言って
その人のパーソナリティの問題に帰結させようとしてしまう。
相手が「人間的」に問題ありだということにしておけば、
「そんな相手とは対話や議論をするつもりはない」といって
議論そのものから逃避することが出来る。
しかし、そのような「敵」「味方」のラベリングを繰り返して
自分に近しい「味方」だけの意見を聞いているだけでは、
議論の「内容」を批判検討して主張や見解を更に深める機会を
自ら捨てることとなってしまう。
僕がこの事態を最も憂慮するのは、
最も多くを吸収し、成長する可能性を秘めた
若者世代(自分も若いんだけど)に
このような他者不在のコミュニケーションの癖が染み付いてしまい、
視野を狭めてしまうことであり、
それがソーシャルメディアによってますます助長されるのではないかということだ。
若者世代がよく、若者を理解しようともせずに凝り固まった偏見のもとに
若者世代を批判する年長者のことを「老害」と表現するが、
その一方で自分自身も年若くにして「老害」と同類の存在に
なってしまっているような同世代をちらほら見かける。
彼らは、「インターネットで個人がフラットにつながる時代だ!」と、息を巻きながらも、
自分に同調する者以外は「今の時代や価値観が分かっていない、遅れた人」と
ラベリングして見下し、排除してしまう。
だがそれは結局、「フラット派」の彼ら自身が世代間対立を再生産する行為であり、
彼らが攻撃するところの「老害」と全く同じ特徴である、
視野狭窄と他者への不寛容の発露でしかない。
*
最も下品なのは、
「心理」や「人格」を理由に
他者と交わり議論を闘わせることすら避けている人間が、
「世界を変える」などという大義名分を掲げて好き放題をすることだ。
世界は自分を中心に回っているのではない。
自分が存在するのと同じだけの重みで他者も存在しているのであり、
自分に好き嫌いや意見があるのと同様に、
自分以外の他人も好き嫌いや意見を持っており、
当然それが自分と異なる可能性もある。
しかし、上記のように「心理的」「人間的」な
過剰反応でもって他者をシャットアウトし、
自分と異なる意見を持つ他者と交わることを避け続けた人間は、
その過程でどんどん「世界」を狭く、小さなものへと貶めてゆく。
そしてそれと反比例するかのように、自分と同調する者だけを
便利な道具のようにコレクションし、屈折した自我を肥大化させてゆく。
肥大化した自我が子どもっぽい征服欲と結びついた時に
生まれやすいのが、「世界を変える」とか「社会を良くする」といった
耳障りの良い大義名分である。
しかしその者が言う「世界を変える」とは、
自分の都合の良いように世界を塗り替えたいという意味に過ぎず、
そもそもの「世界」認識が貧弱なのだから、
それは結局多くの他者の共感を得られないし、歓迎されることもない。
ところが勘違いが留まるところを知らないと、
「変革者は大衆の共感を得られない」
とか
「10年先に自分が正しかったことが分かる」
とか
「だから今自分が嫌われるのは仕方ない」
などと言って、ついには自分を悲劇のヒーローに仕立て上げるのだ。
やってる本人は気持ち良いのだろうけど、
残念ながらそれは、裸の王様だ。
それは、ただのマスターベーションだ。
自分以外の他者と向き合い、痛みを引き受ける覚悟を
持たない人間に世界を変えることなど出来るはずがない。
*
今回上記のようなことを書いたのは、
当事者であるイケダさんや高広さんよりむしろ
お二人のフォロワーの中で、
非常に大人げなく、稚拙で、下品な発言をする人が
けっこうな数で見られたからだ。
(冒頭紹介したtogetterまとめに限らず、
その後しばらくの日々において)
そしてその中に、自分と同じ若者世代の人間の
発言も少なからずあったことに危機感を覚えたからだ。
この記事を通して誰か特定の個人を攻撃するつもりは毛頭無いが、
議論を健全に闘わせ、発展させるため、
あるいは自分と異なる他者と認め、共存するために
最低限必要な姿勢すら共有出来なければ、
ソーシャルメディア上の言論の未来は暗いと言わざるを得ない。
先達の営みを引き継ぎ、次代を担う若者の一人として、
また実際にソーシャルメディアをかなりの頻度で利用し、
そして多くの恩恵や希望も得ている人間の一人として、
問題提起をさせていただいた。"
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"オレは生まれも育ちも板橋区である。
正確に言うと、板橋区仲宿の商店街で長年商売をやってた家に生まれ、一人暮らしを始めてからは大山や区役所周辺に住み続けており、自慢じゃないが板橋以外の土地に住んだことがない。(若かりし頃に家出して知人の家に転がり込んでたとかは省く)
そんなオレは長いこと 『板橋の常識』 を 『=世間の常識』 だと思い込んでいたのだが、30才を過ぎた辺りから段々と 「板橋って特殊じゃね?」 と思うようになってきた。(例えば商店街といえば直線で数百m以上あるのが当たり前とか)
世間一般のイメージだと、恐らく板橋区は 「東京23区の中で足立区と並んでガラが悪い」 とか、「外国人ばっかり」 とか、「DQNの巣窟っぽい」 と思われているだろう。
もしくは 「とにかく地味」 だとか、「貧乏くさい」 だとか、「無名すぎて場所すらわからん」 といった、板橋区が背負っている最大の弱点に着目する人も多かろう。
オレはその辺のマイナスイメージを変えたくて、上で宣伝した板橋本を書いたのである。
しかし 「そんな板橋区でしか売ってねえ本なんか読んでねえよwww」 という人も大勢いるだろうから、今回は板橋区の特異性と素晴らしさについてレクチャーして差し上げよう。
これを読めばキミも板橋通だ!(どこで役立つかは知らん)
・貧乏人が多い
・ガラが悪い、チンピラやDQNが多い
・無名(マイナー)
とりあえず、板橋区に対する3大イメージはこれだと思う。
この3つに関しては、いくら板橋愛に溢れたこのオレ様でも、素直に 「その通りでございます」 と認めるしかない。
確かに板橋区は貧乏人ばっかりで、チンピラやDQNが異常に多いためガラが悪く、23区の中でも特に無名である。
しかし!
だがしかし!
この欠陥とも思える板橋のマイナス面は、板橋がもつ魅力的な面と掛け合わされて、見事に “プラマイゼロ” になっているのだ!
例えば……
・貧乏人が多い
→だからこそ物価が安く、異常なまでに不況に強い
・ガラが悪い
→貧乏人対応の街なので、ガラが悪かろうが外国人だろうが極端に生活に困っているわけではなく、結果として凶悪犯罪は殆ど起こらない
・無名
→だからこそ大資本や公的資金による大規模な開発などが滅多にされず、土地価格や物価の高騰が起こらない
どうこの市民の生活と治安を維持する “板橋システム” の完璧さ。
鉄道文化に乗り遅れたため宿場町として廃れ尽くし、世間に忘れ去られた明治時代。そこに端を発し、大正~昭和~そして第二次大戦を挟んでも順調に忘れられたままで全く注目される事がなく、その結果いまに至るまで何も変わらなかった板橋区だけのゆるゆるオリジナリティ。
それが
板橋流 貧乏は正義システム!
さらに言うと 「外国人だらけ」 という点においても、板橋区は民間レベルの謎のゆるさで見事にグローバル社会を実現してみせている。
例えば板橋区には日本に不慣れな外国人をサポートする団体があるのだが、その団体目当てに引っ越してくる外国人が非常に多い。(しかも貧乏な国から来る人ばかり)
そうした外国人に対して、板橋に長くいる同郷の先輩外国人が、「板橋区で生きて行くには~」 と生活に必要な知識やマナーなどを教えてあげるらしい。
すると外国人であっても短期間で日本での (というか板橋での) 常識が身に付くから、地域から浮いてしまって犯罪に走ったりするケースが極端に少なくなる。
そうなると外国人であっても単に “貧乏仲間が増えただけ” でしかないのだから、周囲の板橋区民は 「貧乏人同士で喧嘩しても意味ねえよ」 と素直に外国人を受け入れてしまう。
またそうした外国人の中には、普通に就職するのではなく、飲食店を経営するケースが目立つ。(バングラ人ならカレー屋みたいな)
しかもそういう人たちは貧乏な母国での感覚を引き摺っているためか、”採算” とか “利幅” といった概念、いわゆる貨幣価値がどこかおかしい。したがって妙に安い価格設定をしてしまい、儲けが少ない分は昼から明け方まで働いてカバーするという力技で生活してのける。
加えて言うならば、元の土地代が安いため、家賃も都心に比べたらベラボーに低く、商品に乗っける金額が低く抑えられるという秘密もある。(=板橋価格の成立)
そして値段が安い飲食店となれば、貧乏なクセに飲み歩きが大好きな板橋区民は放っておかない。我々飲兵衛板橋区民は、差別感情より先に 「おいちいカレーがたべたい」 といった妙に具体的な欲望を優先し、外国人を地域コミュニティーの中に無理矢理引きずり込もうとするのだ。(安く美味い物が食べられる店が減ったら自分が困るから)
また板橋には今じゃ落語の中にしか残ってないような “長屋文化” 的な感覚が未だに生き続けており、こうした外国人経営の飲食店に 「困った事があったら何でも言ってきな!」 という酔っ払いオヤジが大量発生する傾向がある。(時としてそれが区役所・警察・消防勤めの公務員だったり……)
これも別に同情だけで言っているわけではなく、「小銭みたいな金額で美味しい料理を食べさせてくれる大事な仲間なんだから、困っていたら助けるのが当たり前だ」 という考え方なのだ。
言ってみれば、板橋区民の心の中には日本人特有の八百万の神に対する信仰がモロに生き続けているのか、外来の物だろうと人だろうと何でもかんでもメリットを見つけてゆる~く適当ぉ~に受け入れてしまい、それで自分の生活を豊かにしようと考えるのだろう。
だからこそ板橋では外国人よりも、むしろヒステリックで排他的な日本人の方が “地域の平和を乱す悪” と看做される。
だって他人と争ったって右も左も貧乏人だらけだから得る物がないし、そもそも貧乏でも楽に生活できるのだから他人を蹴落とす必要がないし、自尊心を満たしたってお腹が膨れるわけじゃないし、今の会社かなりレベル高い方だし、親父がらみのコネもあるからやめるわきゃないし。(by働く男)
そんな無駄な争いをするくらいなら、バングラ人だろうとイラン人だろうとモンゴル人だろうと仲良くして、彼らのお店に行って美味しい料理を食べる方がよっぽどメリットがある。
これが板橋的な思考であり、日本でも有数のグローバル社会を実現してみせた秘訣なのだ。
<ちょっといいこと言いますよ>
格差問題というのは、貧乏人と金持ちがいるから生じるのではない。
なに不自由なく暮らす富裕層と、生活苦にさいなまれた貧乏人が一箇所に集まるから、軋轢・妬み・ひがみといった負の感情が爆発するのだ。
という事は、貧乏人でも特に不満を感じず暮らせるのであれば、格差自体があっても格差問題は起こらないのである。
そう!
貧乏人が横並びで、そうした貧乏人相手のビジネススタイルが確立されている板橋区において、所得の差なんて “足が早い、目がいい、声が大きい……” といった個人差と同列の話なのだ。
自称グルメライターを名乗る者として、どうしても飲食を例に出してしまうのだが、よく 「六本木(or赤坂or麻布or青山or銀座……) に行かないと美味い物が食えない!」 なんて事を言うアホがいるだろう?
しかしそんな土地で大枚はたいて飯を食ったところで、別に料理自体に金を払ってるわけじゃない。単に家賃・土地代や、グルメ雑誌の掲載料を、料理の代金に乗っけられているだけである。
それを 「高い金を出しているから凄い物を食ってる!」 と勘違いしたバカどもが有り難がり、味もわからんのに 「素晴らしい!ブラボー!」 と喧伝して回る。
そしてマスゴミにしても金回りのいい店の方が気前よく広告料を払ってくれるから、グルメ雑誌やTVなどに都心の店ばかりが次々と取り上げられる。
それを見た情報弱者の田舎者が、広告料をいくら払ったかで掲載スペースが全て決まるような雑誌を鵜呑みにし、「これでボクも都会っ子の仲間入り!」 とばかりに押し寄せる。
これがいわゆるグルメビジネス(笑) の正体だ。
しかし東京23区内で群を抜いて土地代が安い板橋区では、同じ素材を使った料理でも “乗っけられる金額” が圧倒的に低くなるため、田舎者(おのぼりさん) 御用達の店と比較にならないほど安い金額で、同じくらい美味い物が食べられる。
ようは土地がどこかなんか関係なしに、結局は腕のいい職人がいるかいないかの話でしかなく、足と耳を使えばどこの土地でも優れた職人を見つけられて当たり前なのだ。
東京にいて 「都心にしか物や人がない」 と主張するヤツは、自分が情報弱者の田舎者だと宣伝して回っているようなものなのである!
そんな輩は自分の稚拙な感性や、味覚や、経験や、コミュニケーション能力の欠如からくる情報力の無さを、オサレな土地だの一等地だのという全く別問題の価値観を引っ張り出して来て誤魔化した気になっているだけなのだ!
そしてそんな空虚な都心信仰を 「無い物は無い」 と切り捨てている我らが板橋区は、忘れられた土地だけにわけのわからん邪魔が入る事なく、他の土地の人間が気付かぬ間に “貧乏人が金持ちと同じ物を口に出来る隠れたグルメ都市” と化していたのである!(ウソだと思うならオレの渾身の板橋グルメマップを見て適当な☆の多い店に行ってみやがれ)
板橋区には昔ながらの直線?kmなんていう冗談みたいな商店街が何箇所も生き残っている事もあって、とにかく店の数が多い。飲食店に限っても、ちょっとした路地裏まで入れたらいったい何軒あるのか見当も付かず、それだけ絶対数が多ければ、アチコチにとんでもない当たりが隠れていたってなんら不思議ではない。
その中でもモツ焼きなどに代表される大衆酒場料理に関しては、板橋・北・荒川・足立・葛飾といった “ちょっとアレな土地” の方が、ノウハウの蓄積や付き合いの長い仕入れルートがある分クオリティが高くて当たり前だ。
今になって 「不況だから大衆酒場がブーム!」 などと言いながら千ベロ(※) 特集を組む連中が多いけれども、そんなもん “ちょっとアレな土地” からしてみたら何十年も前から主食である。(※千ベロ=千円でベロベロになれる店)
板橋なら昔から寿司を摘まんで酒を飲んで1,000円程度で済むんじゃボケ!
てめえら今まで板橋を 「地味だ」 「貧乏臭い」 「マイナーすぎw」 だのなんだの散々バカにしてたクセに、今さらなにぬかしてんだボケナス!
ちょっと不況になって財布事情が悪くなったからって “こっちの世界” に擦り寄って来んじゃねえ!
まずは今まで散々コケにされ続けた板橋や足立や葛飾に土下座しろボケ!
話はそれからだ!
あれだけ皆さん褒めちぎっていらっしゃったんですから、詐欺でも泥棒でもして有り難いお六本木のお高級おレストランでお食事し続ければよろしいんじゃございませんこと?オホホホホホ。
と、日頃板橋区が受けている迫害を思い出して平常心を失ってしまったわけだが、板橋区では貧乏人は貧乏人なりに満たされているため、所得格差が理由で起こる事件の類が不思議なほど少ない。
ついでに言えば、外国人は多いが外国人による犯罪が多いわけじゃない。
少々ガラが悪いのは問題だが、それにしたってガラの悪い連中の集まる場所に行かなければ回避できるレベルの話である。
難点としては、板橋区には都心にあるようなオサレ系のお店が少なく、田舎者が 「オラもいつかは板橋へ!」 と憧れるような要素が全くない。
なんと言うか、あらゆる物が人々の生活に密着しており、生活に不必要な要素は自然と排除されているようにすら思える。
言ってみれば、板橋は徹底的なまでにリアリストのための街なのだ。
再び飲食店を例えに出してみると、板橋では世の中が不況になる以前から、雰囲気のいいコジャレた店より、小汚くても安くて美味くて盛りのいい店の方が遥かに人気があった。むしろコジャレた雰囲気重視の店なんかあっという間に潰れて忘れ去られるのが当たり前だったのだ。(ただし雰囲気が良くて安くて美味いなら大人気!)
今も昔も 「同じ物をより安く食べられるなら内装や皿なんか何でもいい」 = 「浮ついた要素はいらないからその分も実益をよこせ」 と考えるのが、ごく平均的な板橋区民なのである。
合言葉は 「皿を見たって腹は膨れねえだろ?」 だ。
こうした “ごく平均的な板橋区民” が飲食店に求める要素は
安い » 盛りがいい » 美味い »»>(越えられない壁) »»> 雰囲気がいい » オーガニックだなんだ
といった順列になるだろう。
ここで注意したいのが、安いだけではダメだという点である。安い上に盛りがよく、さらにちゃんと美味しくなければ板橋区民は納得しない。あえて順列を付けるなら上の通りになるのだが、(越えられない壁) よりも左側の要素が全て入っていないと繁盛店にはならないのである。
ちなみに 「接客が良い」 とか 「店の主人が気さく」 といった項目は考慮に入れない。
なぜなら 「ヘンクツな店主が相手でもしっかりコミュニケーションが図れる」 とか、「新しい店でも10年前から通っているかのように馴染む」 といったスキルは、板橋区民ならば持っていて当然であり、店も客もお互いに気を利かせて “ゆるゆる板橋ワールド” を構築するのが当たり前だからだ。
店のオヤジが客と一緒に痛飲して出来上がってしまったら、辛うじて正気を保っている客が新しく入って来た客を席に案内してお茶とおしぼりを出す。それが板橋の飲食店の由緒正しいスタイルだ。
それに対して 「こっちは客なんだぞ!」 なんて無粋な事を言ってはならない。
それが嫌なら二度と来るな。
それが板橋だ。
THE板橋ルールだ!
異論は認めない。
他人と上手にコミュニケーション出来ないというのは、貧乏人同士肩を寄せ合って生き抜かねばならない板橋において死に直結するから注意が必要である。
「困った時はお互い様」 というが、板橋では初手からお互い様 なのだ。
常時お互い様!
フルタイムお互い様!
年中無休でお互い様!
「歳末助け合い運動」 なんて冗談じゃない!
板橋は365日絶賛助け合い運動中である!"